元ひきこもりのブログ

2007年まで10年以上ひきこもっていました。
ひきこもっている時はまったく光が見えず 本当につらかったですが、人との出会いなど、様々な幸運に恵まれたおかげで 2008年に社会復帰できて以降、少しずつ活動の範囲を広げています。

現在ひきこもり中で、以前の私のように、外に出るのもつらいという人。
そのような人がこのブログを読んで 少しでも「大丈夫だ」と思っていただければ幸いです。

ひきこもり中、私は相当 絶望的な状態だったと思います。
そんな私でも、ひきこもりを脱することができたのですから、現在うまくいかない人も、きっかけさえつかめば 絶対になんとかなると思います。

なつかしい曲

ダイの大冒険 エンディング


久しぶりに↑の曲を聞きました。
大昔に聞いた時も、
いい曲だなと思っていましたが、
大人になって、改めて聞くと、
また違った意味で、しみじみとします。


確かに、
人生、思うようにいかないことも
たくさんありますが、
それでも、
現在の自分があるということは、
最後には、すべてが
うまくいった、
ということではないでしょうか。


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太宰治の「冬の花火」を読んで

久しぶりに投稿します。


遅くなりましたが、
本年もよろしくお願いいたします。


先日、太宰治が戦後に発表した戯曲「冬の花火」を読みました。
そして、なんとも言えない気持ちになりました。
その一節を紹介します。

負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜なのに、それをまあ、恥かしいとも思わずに、田舎の人たちったら、馬鹿だわねぇ、いままでどおりの生活がいつまでも続くとでも思っているのかしら、相変らず、よそのひとの悪口ばかり言いながら、寝て起きて食べて、ひとを見たら泥棒と思って、(また低く異様に笑う)まあいったい何のために生きているのでしょう。まったく、不思議だわ。


あるいは、次のような一節もあります。

いつから日本の人が、こんなにあさましくて、嘘つきになったのでしょう。みんなにせものばかりで、知ったかぶってごまかして、わずかの学問だか主義だかみたいなものにこだわってぎくしゃくして、人を救うもないもんだ。人を救うなんて、まあ、そんなだいそれた、(第一幕に於けるが如き低い異様な笑声を発する)図々しいにもほどがあるわ。日本の人が皆こんなあやつり人形みたいなへんてこな歩きかたをするようになったのは、いつ頃からの事かしら。ずっと前からだわ。たぶん、ずっとずっと前からだわ。


グッド・バイ (新潮文庫)
グッド・バイ (新潮文庫)
新潮社


以上で取り上げた文章を見ると、
太宰が戦後の日本人に対して抱いていた
疑問や不満の大きさがよく分かります。


それでは、彼が
戦後の日本人に対して抱いていた疑問とは何でしょうか。


おそらく、それは、
日本の敗戦によって
国民共通の価値観が崩れるという
大きな変化が生じているにもかかわらず、
まったくそのような事態に気付かないで、
あるいは、
仮に気付いていたとしても
それを直視しようとしないで、
相変わらず8月15日以前と
同じように生きている
日本人の鈍感さ、
あるいは、
図々しさに対する不満であったのではないでしょうか。


もしかすると太宰は、
日本の敗戦によって、
日本人が大きく変化することを
期待していたのかもしれません。
しかし、
実際の日本人は、
太宰の期待に反して、
何も変わろうとしなかった、
ということではないでしょうか。


約70年前に書かれた、この文章ですが、
現在を生きる私たちが読んでも、
何かひっかかるものがあるのではないでしょうか。


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プリティ清原

プロ野球の清原和博選手がまだ現役で活躍していた頃、
巨人軍の中軸打者としてなかなか結果を出せない清原選手に、
テリー伊藤さんが次のような提案をしていた。


これから清原選手は「プリティ清原」という名で
試合に出ればよいのである。


清原選手が巨人でなかなか活躍できないのは
ファンの期待にこたえようという思いが強すぎて
体が硬直してしまうからである。


だから、この問題を解決するために
「プリティ清原」として試合に出るのである。


その心は、次のようなものである。


テリー伊藤さんも若い頃は、人前に出たり、人から期待を寄せられたりしたときは
非常に緊張してしまう性質だったらしい。
ところが、「テリー伊藤」と名乗るようになってからは、
不思議なことに、「テリー伊藤さん」と呼ばれても、
どこかで自分のことではないような感覚が生まれたそうだ。
つまり、ある程度自分を客観的に見られるようになったということだと思う。
それ以降、若い頃のような緊張の仕方をすることはなくなったらしい。


そういうわけで、
同じような問題で悩んでいると思われる清原さんに、
清原和博ではない名で試合に出ることを提案したのだろう。




おそらくテリーさんは、半分冗談でこのような話をしたのだと思うが、
清原さん以上に緊張のことで悩みを抱えていた私は、かなり真剣にこの話を受け取った。
それは、こんな大昔の話を今でもはっきり覚えていることからも分かる。


緊張は、今でも私にとって大きな問題である。
だからと言って、明日から「プリティたお」と名乗るわけにもいかない。
まだまだ考え続けなければならない。



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