THE BLUE HEARTSさんの「TRAIN-TRAIN」を聞くと、
今でも少し熱くなります。
本当の声を聞かせておくれよ
世の中は、人は、もっとこうあるべきではないか
という彼らの思いが伝わってきます。
いやらしさも 汚らしさも
むきだしにして走ってく
世の中は、あまりにも嘘や虚飾で塗り固められている、
もっと裸になって生きてゆこうよ、というメッセージでしょうか。
2007年まで10年以上ひきこもっていました。
ひきこもっている時はまったく光が見えず 本当につらかったですが、人との出会いなど、様々な幸運に恵まれたおかげで 2008年に社会復帰できて以降、少しずつ活動の範囲を広げています。
現在ひきこもり中で、以前の私のように、外に出るのもつらいという人。
そのような人がこのブログを読んで 少しでも「大丈夫だ」と思っていただければ幸いです。
ひきこもり中、私は相当 絶望的な状態だったと思います。
そんな私でも、ひきこもりを脱することができたのですから、現在うまくいかない人も、きっかけさえつかめば 絶対になんとかなると思います。
THE BLUE HEARTSさんの「TRAIN-TRAIN」を聞くと、
今でも少し熱くなります。
本当の声を聞かせておくれよ
世の中は、人は、もっとこうあるべきではないか
という彼らの思いが伝わってきます。
いやらしさも 汚らしさも
むきだしにして走ってく
世の中は、あまりにも嘘や虚飾で塗り固められている、
もっと裸になって生きてゆこうよ、というメッセージでしょうか。
「負けるが勝ち」って、いつも思えていたら
楽だろうなと思う。
しかし、実際の私は、他の人に、
少しでも能力があると思ってもらおうと、
いつも躍起になっている。
そして、ときどき、思惑通りに、よい結果が得られると、
やはり嬉しいし、少し自信過剰にもなる。
でも、その時、
他の人が私を見る目はどんなものだろうか。
はたして本当に、私が考えるほど、
すごいと思ってくれているのだろうか。
もしかしたら、「本当は私がそれをしたかったのに先を越された」
と悔しい思いをしているのかもしれない。
あるいは、「でしゃばり」と思われているだけなのかもしれない。
だとすると、勝ちによって得られるものは、
自分が考えるほど大きくないのではないか。
「負けるが勝ち」が一理あることは間違いないように感じる。
ただ、それを実行するのは、
私のような器の小さい人間にとっては非常に難しい。
まだまだ修行が必要だ。
↑は、テレビアニメ「フランダースの犬」のエンディング曲です。
私は、このアニメを10年以上前に見たのだと思うが、
今でも時々思い出すことがある。
それほど、このアニメのラストは私にとって衝撃的だったのだ。
「フランダースの犬」は、
少年「ネロ」とその愛犬「パトラッシュ」の物語である。
ネロとパトラッシュは、
物語の最初から、とにかく人々からひどいあつかいを受け続ける。
しかも、それらは、本人の性質に起因するものではなく、
確か、差別とか偏見によるものであったと思うから
たまらない。
それでも、ネロとパトラッシュは、
人々や運命に怒りをぶつけるでもなく、
好きな絵を心の癒やしとして、前を向いて生き続ける。
当時、私は、この物語に対する予備知識がまったくなかったので、
おそらく最後には、人々はネロの健気さに気付き、ハッピーエンドを
迎えるのだろうと思っていた。
エンディング曲もハッピーエンドを思い起こさせるような明るさがあるし、
何より、物語とは、正しい行いはいつか報われることを表すものだと思っていたのである。
ところが、ネロとパトラッシュは、
何も報われることなく悲しい結末を迎えてしまう。
私は、あまりの救いのなさにぼう然とした。
ただ涙が止めどなく流れた。
だからこの世に宗教があるのだろうかとパッとひらめいたりもした。
そこに、このエンディング曲が流れるのだ。
まるで何事もなかったかのように。。
私は、最終回はエンディング曲がなかったほうがよかったのではないかと今でも思うが、
もし、制作者がこの落差まで意図してエンディング曲を流したのだとすれば、
それはそれですごいことだと思う。