元ひきこもりのブログ

2007年まで10年以上ひきこもっていました。
ひきこもっている時はまったく光が見えず 本当につらかったですが、人との出会いなど、様々な幸運に恵まれたおかげで 2008年に社会復帰できて以降、少しずつ活動の範囲を広げています。

現在ひきこもり中で、以前の私のように、外に出るのもつらいという人。
そのような人がこのブログを読んで 少しでも「大丈夫だ」と思っていただければ幸いです。

ひきこもり中、私は相当 絶望的な状態だったと思います。
そんな私でも、ひきこもりを脱することができたのですから、現在うまくいかない人も、きっかけさえつかめば 絶対になんとかなると思います。

望みを捨てぬ者だけに道は開ける

今年のNHKの大河ドラマ「真田丸」の中で、


望みを捨てぬ者だけに道は開ける


という言葉が何度か出てきた。



私は、この言葉に共感し、
こうであることを強く信じたいと思った。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



私はまだ悪い流れの中から抜け出せないでいるようである。
この数ヶ月の間、まったく思いもかけなかったような
災難が、次から次へと私の前に訪れてきたような気がする。


私は、ただただ、それらの災難に対処するだけで精一杯だった。



このような災難は、
私自身の本当の実力を教えてくれる。



私は、2008年以降、それなりに社会に出て、経験も積んできたので、
もう少し、他の人と変わらないぐらい
なんでもできるようになっていると思い込んでいた。



しかし、実際はそうではなかった。



やはり私の対人緊張や視線恐怖症は、
私が、しっかりと、一人前の人間としてふるまっていこうとするには、
大きな障害になっているのだ。


なんだか自信をなくした。


こんな状態では、何をやっても、
結局ダメなのではないかと、
何もかもイヤになり、やけを起こしそうになる日もあった。




しかし、次々と訪れる試練は、
私に、やけを起こす暇も与えてくれない。


どんなに情けない状態でも
前に進んでいくしか仕方がないのだ。


本当は、
人に良く見られたいと、人一倍 思っている
私にとって、この経験は本当につらかった。




しかし一方で、
つらい経験は、よい作用も もたらしてくれる。


というのは、
緊張して 情けない状態になる時間が多くなればなるほど、
私も、その苦しい状態から 少しでも解放されて楽になる方法を
必死で探し出そうとする。


こうして私は、この期間に、
対人緊張の苦しみに対処する方法をいくつか見つけ出したのだ。


このような対処法は、
普段通りの 楽な生活をしている中からは
絶対に生まれなかったと思う。


やはり
つらい経験をした中からこそ
生まれてきたものなのだと思う。




このように考えると、
災難というのは、
決して悪いことばかりではないのかもしれない。


人は、
災難の中でこそ
大きく成長するものなのかもしれない。




また、
私は、自分が楽観的な人間なのだと
今回、つくづく思った。


状況が どんどん悪くなってきても
まだ なんとかなるのではないか、と
心の底では思っている。


これは信仰なのだろうか。




よく分からないが、
冒頭の
「望みを捨てぬ者だけに道は開ける」
という言葉は、
楽観的な人間の心に
特に響くものなのではないだろうか。




もちろん、
それでも道は開けないということもあるかもしれないが、
それはそれで仕方がないことである。


と、ここまで達観できれば最高なのだが、
↑でも言ったように、
私には、人一倍、人に良く見られたい
という一面があるので、
なかなかそうもいかない。


こんな一面をなんとかできれば、
対人緊張や視線恐怖症も克服できるのかもしれないが、
そのためには
もっともっと多くの試練に遭遇し、
心がずたずたになるような
つらい経験を一杯する必要があるのかもしれない。


私はハートが強くないので、
とても そんな試練に耐えられそうにない。


私の場合、
対人緊張や視線恐怖症を抱えたまま生きていく方法を
考えたほうがよいのかもしれない。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



つらい状況に陥ったときは
何もかも忘れて眠るしかない。


とにかく
心と体を休めることに専念するべきである。


心と体を休めることができなければ、
本当に 何も始まらないと思う。




心と体を休めることができたら、
もしかしたら その時には
少し うまく行きそうな予感が生まれてきているかもしれない。


もしかしたら その時には
少し 世界が変わって見えてきているかもしれない。


もしかしたら その時には
何か 苦境を打開するためのヒントが思い浮かんでいるかもしれない。




万物は流転する。
世の中、何が起こるか分からない。



やはり
「望みを捨てぬ者だけに道は開ける」
なのである。


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シンプル

物事は、私が思うよりも、ずっと単純である。


私は、こう考えることにした。



今、目の前にあることを、できるだけ頑張る。


ただ、それだけである。



もしかしたら、今、私がしていることは、
将来の自分から見ると、
あまり意味がないことなのかもしれない。


しかし、そんなことは、
現時点では、まったく予測がつかない。


少なくとも、私の小さな頭では、
先のことは全く分からない。
一寸先は闇である。


だから、そんな余計なことは、
できるだけ考えないことにする。



今、目の前にあることを、できるだけ頑張る。


ただ、それだけである。



それに、
たとえ、
しばらく、「これだ!」と思ったことを続けてみたが、
後になって、
やっぱり、これは自分にあまり合わないということに気付いて、
やめてしまったり、挫折したりしたとしても、
だからといって、
それまで、してきたことが、まったく無駄になるとは、
私には、とても思えない。


私は、この世に、無駄なものは一切ないと考える。


その失敗は、必ず、次に、
何らかの形で、つながるのである。



米国の発明家、トーマス・エジソンも、



私は失敗したことがない。

ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。


と言っている。



だから、私は、
今、目の前にあることを、できるだけ頑張る。


ただ、それを積み重ねていくだけである。



自分が、「これだ!」と思うものに巡り合ったら、
自分の勘を信じて、そちらに進むことを私は選ぶ。


もちろん、
「これだ!」と思った道が、
いばらの道であることもあるかもしれない。


それでも、自分の勘を信じて、
少なくとも、行けるところまでは
努力してみるのもよいかもしれない。


「これだ!」と思った自分の勘に正直であり続けるならば、
たとえ、それが失敗に終わったとしても、
その失敗は、必ず、次なる挑戦の糧になってくれるはずである。


自分の勘に正直であるかぎりは、
自然と、道は開けていくのである。


物事は、私が思うよりも、ずっと単純である。




情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS / USALIVE




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国宝 大崎八幡宮

最近、
自分自身の運気が
少しよくないように感じておりましたので、
10月14日の午後、
気分を一新していただく意味もこめて、
仙台で、よく知られている神社である
大崎八幡宮にお参りにあがることにしました。



大崎八幡宮は、
国道沿いにあります。



国道側からは、
どっしりとした「一之鳥居」が
人の目をひきます。



↑は、
境内にあった
大崎八幡宮の全体図です。


私は、
一番下側の「一之鳥居」から入りました。



「一之鳥居」に続いて見えてくるのは
「二之鳥居」です。


二之鳥居は、
1668年、四代藩主・伊達綱村公により寄進されたもので、
現・岩手県一関市産の御影石が使われたそうです。



その先には、
大石段があり、
大石段の先には、「三之鳥居」が少し見えています。



ふと後ろを振り返ると、
「二之鳥居」の間から
「一之鳥居」が見えていました。



大石段をあがると、
「三之鳥居」が見えてきました。



続いて、
長い表参道を進みます。



表参道が終わると、
また少し階段があって、
その先に
「長床」(国指定文化財)が
あります。



階段の途中に
「殉國碑(じゅんこくひ)」がありましたので、
思わず一礼しました。



「長床」に到着しました。
いかにも古い建物だなという感じがします。



「長床」の先は、
いよいよ国宝の
「御社殿」ですが、
残念ながら現在、保存のための工事が行われているようで、
全体を見ることはできません。



金と黒のコントラストが美しいです。



近くで見ると、
横にのびるブルーのラインが印象的です。



ブルーのライン以外の装飾には、
様々な色が使われているようです。




この後、
私は、
先ほど、境内の全体図で、
駐車場のほうにも、もう一つ
鳥居があることを確認していたので、
その鳥居を見に行くことにしました。



見えてきました。



車で来た人は、
車から降りて、
この鳥居を通ります。



駐車場には、
車いすが置かれていて、
「ご自由にお使いください」と書かれていました。



大体、見るべきものは見たように思いますので、
そろそろ帰ることにします。
先ほどの大石段を、今度は、下りていきます。



元の世界に戻ってきました。
なんだか少しすがすがしい気持ちです。




この後、私は、
東に向かって歩き始めたのですが、
その間、ずっと、



大きな月が
私の正面に見えていました。



家に着くころには、
月は、
ますます輝きを増していました。


私は、
なんだか分かりませんが、
勇気と力を得たような気持ちになりました。


大崎八幡宮を参拝して、本当によかったです。



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