己を知る
彼を知り 己を知る者は、百戦あやうからず
↑の言葉は、兵法書『孫子』の謀攻篇に出てきます。
受験のときなどに、この言葉を知った人は多いのではないでしょうか。
しかし、この言葉には続きがあります。
続きは以下の通りです。
彼を知らざれども 己を知るは、一勝一負す
彼を知らず 己を知らざるは、戦うごとに必ずあやうし
↑の言葉を知らない人は意外と多いのではないでしょうか。
私は、↑の
「彼を知らざれども己を知るは、一勝一負す」という言葉は、
人と接することが苦手な人やひきこもりがちな人に
勇気を与えるものなのではないかと感じています。
それは、以下の理由によります。
人と接するのが苦手な人というのは、
人との交流が少なくなるかわりに、
自分の内面と向き合う時間が長くなる傾向にあります。
中には、
「自分は人と交流する時間は短いが、
だからといって別に
自分の内面と向き合う時間が長いわけではない」
と反論されるかたもいるかもしれませんが、
私はそんなことはないと思います。
何も考えずにい続けることが非常に難しい以上、
やはり、人と接する時間が少ない人は、
その分、自分の内面と向き合う時間が長くなっていると思うのです。
つまり、
人と接するのが苦手な人は、
↑の言葉の「彼を知らざれども己を知る」人に当たるのです。
『孫子』の著者である孫武は、
そのような(=彼を知らざれども己を知る)人は一勝一負す、
と言っています。
つまり、
そのような人が
例えば、社会に出ると、
半分のことはできないかもしれないが、
あとの半分のことはできるだろう、
と言っているのです。
それなのに
人と接することが苦手な人やひきこもりがちな人の大部分は、
自分のことを
↑の言葉の「彼を知らず己を知らざる」人と
思い込んでしまっているのではないでしょうか。
そして、
「戦うごとに必ずあやうし」だと
自己評価を不当に低くしてしまっているのではないでしょうか。
本当は、そうではないのです。
人と接することが苦手な人やひきこもりがちな人は、
「彼を知らざれども己を知る」人なのです。
そして、
社会には、
人と接するのが得意な人だけでなく、
人と接するのが苦手な人も
必要なのです。