映画「万引き家族」が7月20日(土)にフジテレビ系で放送されます。
地上波初登場らしいです。
フジテレビのホームページではこの映画を次のように紹介していました。
高層マンションの谷間にポツンと残された今にも壊れそうな平屋に、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦、息子の祥太(城桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝(樹木希林)の年金だ。足りない生活品は、万引きで賄っていた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れて帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘をして育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく――。
私は、この映画を2~3度みました。
以下では、あくまで私の意見に過ぎないのですが、私が思うこの映画のポイントを語ってみたいと思います。
この映画のポイントは、なんといっても、警察に捕まって 取り調べを受けるようになって以降の信代(安藤サクラ)さんの演技にあると思います。
信代さんの取り調べを行う女性は、常に、常識的な 薄っぺらいことばかりを言ってきます。
それに対して信代さんは、自分の今までの経験からにじみ出てきた独自の濃密な考えをもとに、少しもひるむことなく自分の意見を述べていきます。
信代さんの表情からは悪いことをしたといううしろめたさを読み取れません。
自分の考えに自信をもっているようにみえます。
自分は絶対に子どもと、実の親子以上に互いを思いやることができたのだいう強い思いがあるから、このような自信が生まれてくるのでしょう。
ここまで映画を見てきた人も、確かに この家族の中には きれいごとではない本当の愛情があったことを知っているので(同時に、世間一般では受け入れられないようなことをしていることも知っているが。。。)、信代さんが言っていることにも一理あるのではないかと思ってしまいます。
ところが、この後、取り調べの女性に、「子ども二人は、あなたのこと なんて呼んでました?」、「ママ?、おかあさん?」と問われると、急に 信代さんの表情が変わり始め、あふれ出る涙を抑えることができない、といった感じになってしまうのです。
これは 一体 どういうことなのでしょうか。
信代さんは、映画の中で、子どもがママ・おかあさんと呼ぶことなど、本当に些細なことであると言い切っていました。
そのように呼ばれたからといって何だというのだといった感じでした。
そんなことよりも もっと大事なことに目を向けろ、世間は本当にバカなのか?と言っているようでもありました。
ところが、取り調べの女性に、子どもからママ・おかあさんと呼ばれているのか?、と質問されると、なぜか急に涙があふれてくるのです。
私は、この涙は 悔し涙なのではないかと思いました。
信代さんは、自分の中では、子どもとの間に 実の親子以上に強い信頼関係を築くことができたという確かな自信があります。
そのような絆さえあれば、それで十分ではないか。
子どもからママ・おかあさんと呼ばれることに 一体 どれほどの価値があるのか。
少なくとも、取り調べの女性から この質問をされる前まで、
信代さんは、このように信じて疑わなかったはずです。
が、この質問をされた途端に、
自分でも思いがけないことに、
これまでの信念が急に崩れだしてしまったのです。
本当に ママ・おかあさんと呼ばれることに意味はないのだろうか?
こんなに深い絆で結ばれているのに、どうして子どもたちは
「ママ・おかあさん」と呼んでくれないのだろう?
やはり、どんなに深い絆で結ばれていたとしても、実の親子の血のつながりには勝てないのではないか?
このような疑問が 急に せきを切ったようにあふれ出てきて、
しかも、悔しいことに、
これらの疑問を 打ち消すことができなかったのではないでしょうか。
私は、安藤サクラさんの演技を このように受け取りました。
この後、信代さんは、自分の信念を曲げていきます。
が、それでは、信代さんの信じていたものの中には 本当に何もなかったのでしょうか?
いや、やはり 子どもたちの本当の幸せは、
信代さんが信じていたもののほうにあったのではないだろうか?
そのようなことをにおわせて この映画は終わりを迎えます。
これは あくまで私の「万引き家族」を見ての感想です。
皆さんは この映画を見て どのような感想をもたれるでしょうか。