元ひきこもりのブログ

2007年まで10年以上ひきこもっていました。
ひきこもっている時はまったく光が見えず 本当につらかったですが、人との出会いなど、様々な幸運に恵まれたおかげで 2008年に社会復帰できて以降、少しずつ活動の範囲を広げています。

現在ひきこもり中で、以前の私のように、外に出るのもつらいという人。
そのような人がこのブログを読んで 少しでも「大丈夫だ」と思っていただければ幸いです。

ひきこもり中、私は相当 絶望的な状態だったと思います。
そんな私でも、ひきこもりを脱することができたのですから、現在うまくいかない人も、きっかけさえつかめば 絶対になんとかなると思います。

機械有れば必ず機事有り、機事有れば必ず機心有り

久しぶりに投稿します。
またよろしくお願いします。


『荘子』外篇、天地篇に
次のような言葉があります。


便利な道具が発明されれば、

必ず その便利な道具を使った仕事が生まれる


そして、便利な道具を使った仕事が生まれれば、

必ず その便利な道具にどこまでも頼る心が生まれる


そして、便利な道具にどこまでも頼る心が人の胸中に生まれれば、

その人の本当の気持ち・本当の感情とは何かがどんどん分からなくなってくる


そして、本当の気持ち・本当の感情といったものが分からなくなってくれば、

人間本来の幸せとは何かがますます分からなくなってくる


人間本来の幸せとは何かが分からなくなれば、

その人は 完全に自由を失い、不自然な生き方しかできなくなってしまう


↑の引用部分は少し分かりにくいと思いますので、
例をあげて説明したいと思います。


たとえば、人間社会に車が発明されれば、
車を使った仕事が生まれます。
そして、車を使った仕事が定着していけば、
知らず知らずのうちに、車がなければ仕事も何もできなくなってしまいます。
車がなければ仕事も何もできなくなってしまうと、
すでにその人の心は車の利点(=正確性や効率性、はやさなど)の亡者になっています。
そして、正確性や効率性、はやさなどを基準にして物事を考えるようになってくると、
その人の本当の気持ち・本当の感情(=人間らしさ)といったものからますます離れていきます。
そうなってしまうと、その人が求めている幸せは本物かどうかかなり疑わしいですが、
そういったことに気づくこともかなり難しくなってしまう、といった感じでしょうか。


『荘子』外篇、天地篇の登場人物は、
↑の引用部分の後、
堂々と次のように宣言しています。


そんな機械か人間かも分からないような化け物には絶対になりたくないから、

私は便利な道具を絶対に使わないのだよ


荘子 第2冊 外篇 (岩波文庫 青 206-2)
荘子 第2冊 外篇 (岩波文庫 青 206-2)
岩波書店




現代は、荘子が生きた紀元前の時代とは比べ物にならないほど、
便利な道具であふれかえっています。


それだけに、
自分の本当の気持ち・本当の感情・本当の幸せが見えなくなっている人が
結構多く存在するのではないでしょうか。


私のような 社会に適合することが難しい人間は
特に そういう傾向が強いのかもしれません。


このままではいけないような気がします。
何かを変えることで、少しずつ社会に適合できるようになっていくかもしれません。
それでは、どうすればよいのでしょうか。


私は、とりあえず、自分ができそうなことから始めてみることにします。

  • たとえば、調べものがあるときは、パソコンで全部すまさないで、図書館に行って資料を探すようにする
  • 時間があるときは、計算機を使わないで、自分で計算するようにする
  • 時間があるときは、できるだけ電車や車を使わずに、自転車や徒歩で移動する

とりあえず、思いついたまま書いてみました。
本当に些細なことばかりですが、いきなり大きな目標をたてて三日坊主で終わるよりはましだと思いますので、まずは これらのことを自分ができる範囲で実践していって、少しずつ自分を変えていきたいと思います。


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Aさんへのメール

このブログを通して知り合い、
その後、メールのやり取りをするようになったかたがいます。
そのかたを、ここでは、仮にAさんとさせていただきます。


そのAさんに、昨日、久しぶりにメールを送ろうとしたのですが、
何らかの理由で送ることができません。
また、私のメールアドレスは今年の4月から変わってしまったので、
Aさんからのメールもこちらには届かないことになります。
これでは連絡の取りようがありません。


そこで、このブログを使って、
昨日のAさんへのメールの要点を、以下で書かせていただこうと思います。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


(以下の文章は、Aさんへのメールの要点です)
父の介護をしなければならなくなって以降、
私は相変わらず うだつの上がらない毎日を送っています。
このような生活はまだまだ続きそうです。
私は、なんだか八方ふさがりのような状態に陥っているような感じさえします。


こんな状態でも、私に実力があれば、どのようにでも道を切り開いていくのでしょうが、
悲しいかな、私にそんな力はありません。
今は、あらゆる面で、自分の無力さを痛感しています。


実は、父の病気の容体が少し落ち着きはじめた4月に、
以前に経験したことがある、
ホテルの各部屋の風呂掃除のバイトに久しぶりに行き始めたりして、
自分なりに何かを変えようとはしてみたのです。


というのは、父の介護だけでは、どうしても生活にリズムが生まれてきません。
介護といっても、私の場合、自分が自由に使える時間はそれなりにあるのですが、
その自由時間を どうしても有効に使えず、
ただ毎日が無駄に過ぎていくだけという
ひどい感じになってしまいます。


そこで、父の介護の空き時間に
バイトを入れることによって、
かえって生活にリズムが生まれること等も期待して、
バイトに行くことにしたのです。


いざ久しぶりにバイトに行ってみると、
やはり大変なことが多かったですが、
それでも、生じた問題を自分なりに少しずつ解決していって、
2週間後ぐらいには、
これなら、なんとか続けられそうだな、という感じになってきました。


しかし、そこで
父が下血してしまいました。
父は6日間ほどで退院できたのですが、やはり放っておくことはできず、
バイトはやめてしまいました。


今は また
相変わらずの毎日を送っています。


話が暗くなってしまって、すみません(笑)
それでも、自分なりに毎日勉強していることはありますよ。
私は無力ではありますが、そんな私だからこそ分かること・できることがあるはずです。
多分。。。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


私が無力なことも、父が病気になったことも、
すべてのことには意味があるはずです。
やはり生きている限りは、前を向いて、自分のできることを頑張ろうと思います。


少しでも頑張ってさえいれば、そのうち必ず道が開けてくると思います。


以前のメールで、Aさんが教えてくれた
「なにかの途中」という言葉を、今こそ心に刻みたいと思います。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


ちなみに、Aさんが教えてくれた
「なにかの途中」の全文は以下の通りです。


「人はそれぞれ、自分だけの荷物を背負って、それぞれの道を歩いている。
その道はときおり交差するかもしれないが、
それぞれがどこかからやって来て、
どこかへと向かっていく。
すべてのことは、なにかの途中。」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


Aさんは今も地域の若者支援センターに通っていらっしゃるのでしょうか。
作業体験だけでも緊張して疲れる自分がいて、前途多難!と思うことも多いとおっしゃっていましたが、現在はどんな感じでしょうか。


ちなみに私は、今でも、人の多い場所は大の苦手です。
バイトに行っても、病院に行っても、緊張して大変な思いをする自分がいます。
多分、Aさんと何も変わらないと思います。


私も、Aさんも、今は「なにかの途中」の難しい所にいるのかもしれませんが、
そのうち、きっと、新しい景色が見えてくるはずです。
その時までは、つらくて苦しいことも多いかもしれませんが、
何もかもいやになる日もあるかもしれませんが、
それでも、少しずつ、自分のできることを頑張っていきましょう。


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Aさんへのメールの要点は以上です。
Aさんがこれを読んで下さればよいのですが。。。


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「社会とのつながり」と「しかるべき時期」

アメリカ合衆国の心理学者、アブラハム・マズローによると、
人には、家族以外の誰かに認められたい、評価されたい
という欲求があるといいます。


これが本当だとすると、
人は、
たとえ安全な家の中にいることができて、
しかも、そこで食事や睡眠も十分にとることができたとしても、
それでも人は、長くはそのような状態に満足できない
ということになります。


すなわち、人は、
社会のどこかに所属して、そこである程度の役割をこなすような生活をしていないと、
どこか精神的に落ち着かない生き物だということなのかもしれません。


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ひきこもりの人たちは、現時点では社会との接点がありませんが、
だからといって、
彼らは、ずっと社会との接点を断ち続けたいとは思っていないはずです。


現時点で社会との接点を断ちたいと考えているとすれば、
それは単に彼らが現在抱えている問題があまりにも重すぎて、
とても社会のことまで考える余裕がないからにすぎないと思います。


少し時間はかかるかもしれませんが、現在抱えている あまりにも重い問題が
少し軽くなったと感じるようになれば、必ずその時にはまた
自然と社会に目が向くようになるはずです。


ですから、彼らを支援する側の人たちが注意すべきは、彼らには
「まだ社会とのつながりを求めていない時期」と
「ひきこもらざるをえなくなったような重い問題をある程度解決して、再び社会に意識が向くようになった時期」との二つがあることを
よく理解することではないでしょうか。
そして、それぞれの時期に合った支援の仕方を考えていくことが大切なのではないでしょうか。


ひきこもり問題の解決のためには社会とのつながりが不可欠であるというのは、
確かにそのとおりであると私も思います。
しかし、しかるべき時期がまだ訪れていないにもかかわらず、
彼らを支援する側の人たちが
そのような状態の彼らに対して
社会とのつながりを強制したのでは、
かえって事態を悪化させるということにもなりかねません。
やはり、しかるべき時期が訪れるのを辛抱強く待つという姿勢も大切であると
私は思います。


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亀は、よく陸にあがって甲羅干しをしていますね。
非常に まったりとした光景で、見ていて なんだか落ち着きますが、
一方で、
亀には、これっぽっちも 世の中の平和を 信じて疑わないような
肝の太さがあるようにも感じられます。


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