「社会とのつながり」と「しかるべき時期」
アメリカ合衆国の心理学者、アブラハム・マズローによると、
人には、家族以外の誰かに認められたい、評価されたい
という欲求があるといいます。
これが本当だとすると、
人は、
たとえ安全な家の中にいることができて、
しかも、そこで食事や睡眠も十分にとることができたとしても、
それでも人は、長くはそのような状態に満足できない
ということになります。
すなわち、人は、
社会のどこかに所属して、そこである程度の役割をこなすような生活をしていないと、
どこか精神的に落ち着かない生き物だということなのかもしれません。
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ひきこもりの人たちは、現時点では社会との接点がありませんが、
だからといって、
彼らは、ずっと社会との接点を断ち続けたいとは思っていないはずです。
現時点で社会との接点を断ちたいと考えているとすれば、
それは単に彼らが現在抱えている問題があまりにも重すぎて、
とても社会のことまで考える余裕がないからにすぎないと思います。
少し時間はかかるかもしれませんが、現在抱えている あまりにも重い問題が
少し軽くなったと感じるようになれば、必ずその時にはまた
自然と社会に目が向くようになるはずです。
ですから、彼らを支援する側の人たちが注意すべきは、彼らには
「まだ社会とのつながりを求めていない時期」と
「ひきこもらざるをえなくなったような重い問題をある程度解決して、再び社会に意識が向くようになった時期」との二つがあることを
よく理解することではないでしょうか。
そして、それぞれの時期に合った支援の仕方を考えていくことが大切なのではないでしょうか。
ひきこもり問題の解決のためには社会とのつながりが不可欠であるというのは、
確かにそのとおりであると私も思います。
しかし、しかるべき時期がまだ訪れていないにもかかわらず、
彼らを支援する側の人たちが
そのような状態の彼らに対して
社会とのつながりを強制したのでは、
かえって事態を悪化させるということにもなりかねません。
やはり、しかるべき時期が訪れるのを辛抱強く待つという姿勢も大切であると
私は思います。
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亀は、よく陸にあがって甲羅干しをしていますね。
非常に まったりとした光景で、見ていて なんだか落ち着きますが、
一方で、
亀には、これっぽっちも 世の中の平和を 信じて疑わないような
肝の太さがあるようにも感じられます。