元ひきこもりのブログ

2007年まで10年以上ひきこもっていました。
ひきこもっている時はまったく光が見えず 本当につらかったですが、人との出会いなど、様々な幸運に恵まれたおかげで 2008年に社会復帰できて以降、少しずつ活動の範囲を広げています。

現在ひきこもり中で、以前の私のように、外に出るのもつらいという人。
そのような人がこのブログを読んで 少しでも「大丈夫だ」と思っていただければ幸いです。

ひきこもり中、私は相当 絶望的な状態だったと思います。
そんな私でも、ひきこもりを脱することができたのですから、現在うまくいかない人も、きっかけさえつかめば 絶対になんとかなると思います。

【なるほど!】聖徳太子の憲法十七条

中学や高校の日本史の授業で、
誰もが一度は学習した
聖徳太子の憲法十七条。


特に 冒頭の
「和を以って貴しとなす」は
有名で、
日本人のほとんどの人は
耳にしたことがあるのではないでしょうか。


でも、
「和を以って貴しとなす」以外を知る人は
そんなにいないと思います。


かくいう私も 
「和を以って貴しとなす」以外を知らなかった中の一人です。


今回、たまたま それ以外に
少し目を通してみたのですが、
その内容のすごさに驚きました。


特に 私は
第十条の内容が好きです。


現代の日本人が読んでも
「なるほど」と思うところがあるのではないでしょうか。


第十条の原文


十曰。

絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。

彼是則我非。我是則彼非。

我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。

是非之理 詎能可定。相共賢愚。如鐶无端。

是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。從衆同擧。


私の現代語訳


第十条。


そんなに怒りなさんな。
人はそれぞれ違う考えをもっているのです。
そのことを理解しなければなりませんよ。


人にはそれぞれ心があるでしょ。
その心は
それぞれの人が生きてきた環境の中で出来上がったものなのです。


生きてきた環境がまったく同じ人って
いると思いますか?


だとしたら、
それぞれの心が違うものになるのは
当たり前です。


私が
「絶対にこれはよい!」と思うことでも、
それにケチをつける人は必ずいます。


反対に、
誰かが
「絶対にこれはよい!」と自信をもって言っていることでも、
どうしても私にはそれがよいとは思えないということもあります。


これは、
どちらかが正しくて、どちらかが間違っている
という話ではないのです。


私が正しくて、相手が間違っている
と決めつけることができたら、
どんなに楽でしょう。


でも、そんなわけがないのです。


私も、相手も
それぞれ異なる環境を生きてきた、
ただの人にすぎないのです。


どちらが正しくて、どちらが間違っているかなんて
決めつけることはできません。


どちらが正しくて、どちらが間違っているかなどという議論は、
メリーゴーランドの一番前は誰かを決める議論と同じで、
まったく意味がありません。


このことが理解できたのでしたら、
あなたは、
これからは
誰かと口論になることがあったとしても、
「もしかしたら
相手には私の言うことが
間違って聞こえるのかもしれないな」
と思えるようになるはずです。


あなただけが「絶対にこれはよい!」という
大発見をしたとしても、
全ての人に理解してもらうのはとても無理だと、

自然と
思えるようになるはずです。


理解してくれない人に対しても
その人の意見を大切にしてあげられるだけの
心の余裕をもてるようになるはずです。



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この世界は自分中心に回っている?

自分の場合、
1の努力しかしていないのに、
すぐに、ある程度の結果を期待することがよくある。


冷静に考えたら、
おかしな話だ。


おかしな話なのに、
なぜか、すぐに結果が出ないと 落ち込んでしまい、
自分は やっぱり何をやってもダメなのじゃないかと
簡単に決めつけて、自信を喪失してしまいがちになる。


本当にバカな話である。


私は 本当にバカなのであろうか?


いや、そうじゃないと思う。
多分、自分自身に関することだから、
このような おかしな判断をしてしまうのだ。


多分、自分以外の誰かに関することであれば、
もう少し冷静で賢明な判断ができるはずだ。


結局、自分に関係が深くなれば深くなるほど、
まともな判断ができなくなってしまうということなのだろう。


だとすれば、こういうことなのではないか。


なんだかんだ言っても、
私は、
この世界は自分中心に回っている
と思っているのである。
いい気なものだ。


でも、
私のように思っている人は他にもいるのではないか。


私のようなタイプの人間は、
自分を大切に思う気持ちが強く、
自分が傷つくことを恐れる気持ちが必要以上に強いのだろう。
その結果、
努力の継続をむなしいものと思ったり、
行動が消極的になったりする傾向が強くなるのだと思う。


本当に気を付けなければならない。
このままだと、何もしないまま
人生が終わってしまう。


自分への戒め

少し
自分がかわいい
と思うことから離れなければならない。
そして、少しは
自分が傷つく
ことに慣れなければならない。

【ネタバレ】「万引き家族」を観て!

映画「万引き家族」が7月20日(土)にフジテレビ系で放送されます。
地上波初登場らしいです。


フジテレビのホームページではこの映画を次のように紹介していました。


高層マンションの谷間にポツンと残された今にも壊れそうな平屋に、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦、息子の祥太(城桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝(樹木希林)の年金だ。足りない生活品は、万引きで賄っていた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れて帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘をして育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく――。


私は、この映画を2~3度みました。


以下では、あくまで私の意見に過ぎないのですが、私が思うこの映画のポイントを語ってみたいと思います。


この映画のポイントは、なんといっても、警察に捕まって 取り調べを受けるようになって以降の信代(安藤サクラ)さんの演技にあると思います。


信代さんの取り調べを行う女性は、常に、常識的な 薄っぺらいことばかりを言ってきます。
それに対して信代さんは、自分の今までの経験からにじみ出てきた独自の濃密な考えをもとに、少しもひるむことなく自分の意見を述べていきます。


信代さんの表情からは悪いことをしたといううしろめたさを読み取れません。
自分の考えに自信をもっているようにみえます。
自分は絶対に子どもと、実の親子以上に互いを思いやることができたのだいう強い思いがあるから、このような自信が生まれてくるのでしょう。


ここまで映画を見てきた人も、確かに この家族の中には きれいごとではない本当の愛情があったことを知っているので(同時に、世間一般では受け入れられないようなことをしていることも知っているが。。。)、信代さんが言っていることにも一理あるのではないかと思ってしまいます。


ところが、この後、取り調べの女性に、「子ども二人は、あなたのこと なんて呼んでました?」、「ママ?、おかあさん?」と問われると、急に 信代さんの表情が変わり始め、あふれ出る涙を抑えることができない、といった感じになってしまうのです。


これは 一体 どういうことなのでしょうか。


信代さんは、映画の中で、子どもがママ・おかあさんと呼ぶことなど、本当に些細なことであると言い切っていました。
そのように呼ばれたからといって何だというのだといった感じでした。
そんなことよりも もっと大事なことに目を向けろ、世間は本当にバカなのか?と言っているようでもありました。


ところが、取り調べの女性に、子どもからママ・おかあさんと呼ばれているのか?、と質問されると、なぜか急に涙があふれてくるのです。


私は、この涙は 悔し涙なのではないかと思いました。


信代さんは、自分の中では、子どもとの間に 実の親子以上に強い信頼関係を築くことができたという確かな自信があります。
そのような絆さえあれば、それで十分ではないか。
子どもからママ・おかあさんと呼ばれることに 一体 どれほどの価値があるのか。


少なくとも、取り調べの女性から この質問をされる前まで、
信代さんは、このように信じて疑わなかったはずです。


が、この質問をされた途端に、
自分でも思いがけないことに、
これまでの信念が急に崩れだしてしまったのです。


本当に ママ・おかあさんと呼ばれることに意味はないのだろうか?
こんなに深い絆で結ばれているのに、どうして子どもたちは
「ママ・おかあさん」と呼んでくれないのだろう?
やはり、どんなに深い絆で結ばれていたとしても、実の親子の血のつながりには勝てないのではないか?


このような疑問が 急に せきを切ったようにあふれ出てきて、
しかも、悔しいことに、
これらの疑問を 打ち消すことができなかったのではないでしょうか。


私は、安藤サクラさんの演技を このように受け取りました。


この後、信代さんは、自分の信念を曲げていきます。


が、それでは、信代さんの信じていたものの中には 本当に何もなかったのでしょうか?
いや、やはり 子どもたちの本当の幸せは、
信代さんが信じていたもののほうにあったのではないだろうか?
そのようなことをにおわせて この映画は終わりを迎えます。


これは あくまで私の「万引き家族」を見ての感想です。
皆さんは この映画を見て どのような感想をもたれるでしょうか。



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