元ひきこもりのブログ

2007年まで10年以上ひきこもっていました。
ひきこもっている時はまったく光が見えず 本当につらかったですが、人との出会いなど、様々な幸運に恵まれたおかげで 2008年に社会復帰できて以降、少しずつ活動の範囲を広げています。

現在ひきこもり中で、以前の私のように、外に出るのもつらいという人。
そのような人がこのブログを読んで 少しでも「大丈夫だ」と思っていただければ幸いです。

ひきこもり中、私は相当 絶望的な状態だったと思います。
そんな私でも、ひきこもりを脱することができたのですから、現在うまくいかない人も、きっかけさえつかめば 絶対になんとかなると思います。

「社会とのつながり」と「しかるべき時期」

アメリカ合衆国の心理学者、アブラハム・マズローによると、
人には、家族以外の誰かに認められたい、評価されたい
という欲求があるといいます。


これが本当だとすると、
人は、
たとえ安全な家の中にいることができて、
しかも、そこで食事や睡眠も十分にとることができたとしても、
それでも人は、長くはそのような状態に満足できない
ということになります。


すなわち、人は、
社会のどこかに所属して、そこである程度の役割をこなすような生活をしていないと、
どこか精神的に落ち着かない生き物だということなのかもしれません。


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ひきこもりの人たちは、現時点では社会との接点がありませんが、
だからといって、
彼らは、ずっと社会との接点を断ち続けたいとは思っていないはずです。


現時点で社会との接点を断ちたいと考えているとすれば、
それは単に彼らが現在抱えている問題があまりにも重すぎて、
とても社会のことまで考える余裕がないからにすぎないと思います。


少し時間はかかるかもしれませんが、現在抱えている あまりにも重い問題が
少し軽くなったと感じるようになれば、必ずその時にはまた
自然と社会に目が向くようになるはずです。


ですから、彼らを支援する側の人たちが注意すべきは、彼らには
「まだ社会とのつながりを求めていない時期」と
「ひきこもらざるをえなくなったような重い問題をある程度解決して、再び社会に意識が向くようになった時期」との二つがあることを
よく理解することではないでしょうか。
そして、それぞれの時期に合った支援の仕方を考えていくことが大切なのではないでしょうか。


ひきこもり問題の解決のためには社会とのつながりが不可欠であるというのは、
確かにそのとおりであると私も思います。
しかし、しかるべき時期がまだ訪れていないにもかかわらず、
彼らを支援する側の人たちが
そのような状態の彼らに対して
社会とのつながりを強制したのでは、
かえって事態を悪化させるということにもなりかねません。
やはり、しかるべき時期が訪れるのを辛抱強く待つという姿勢も大切であると
私は思います。


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亀は、よく陸にあがって甲羅干しをしていますね。
非常に まったりとした光景で、見ていて なんだか落ち着きますが、
一方で、
亀には、これっぽっちも 世の中の平和を 信じて疑わないような
肝の太さがあるようにも感じられます。


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自分で進路を決めることの大切さ

最近つくづく思うのは、
自分で進路を決めて進むことの
大切さです。


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例えば、私の場合を振り返ると、
私が長期間のひきこもりから脱却する際、
農業の専門学校やコンビニ、ホテルなどのお世話になりましたが、
このうち、コンビニだけは、
私の意志で行くことを決めたのではなく、
当時、私を指導してくださっていた先生の
強いすすめに従って、
行くことを決めました。


その先生がコンビニをすすめる理由は、
私のように、いろいろと考えすぎて動けなくなってしまっているタイプの人間は、
考える暇を与えないぐらい 忙しい職場を一度経験したほうがよい、というものでした。


先生の言うことは、確かに、その通りかもしれませんが、
対人緊張や視線恐怖症を抱えていて、
人と接することに極度の恐怖を抱いていた 当時の私にとって、
お客さんと接する機会の多い、コンビニでのバイトは、
どう考えても、うまく行きそうな感じがしませんでした。


そこで私は、コンビニでのバイトのすすめを
ずっと拒否し続けておりました。


そうこうしているとき、
ハローワークの あるコーナーで、ある人の話を聞いているうちに、
ふと、農業の専門学校に行ってみようか、という気持ちが芽生えました。


その気持ちを そのコーナーの人に伝えると、
とんとん拍子に、その学校の体験入学に参加することが決まってしまいました。


私は、急に動き始めた流れではありましたが、その流れに思い切って乗って、体験入学に参加することにしました。
すると、思ったより のんびりした学校で、
穏やかで優しそうなタイプの人も何人かいて、
こんな私でも、ある程度はやっていけるのではないか、
という思いを強くして帰ることができました。


もちろん、不安な点も一杯ありました。
しかし、いろいろ考えて、
最後は、自分で、この専門学校に行く決心をしました。


いざ、その学校に行ってみると、
予想外に厳しい出来事や状況にも、
もちろん、それなりに巡り合いました。
しかし、なんとか めげずに、そこで頑張り続けることができたのは、
やはり、この学校で頑張ってみようと決めたのが自分自身であったからだと思います。


そして、その学校で、いくつかの壁を乗り越えることができてからは、
今度は、少しずつ、いいことにも巡り合うようになってきます。
こんな自分でも、それなりに価値があるのではないかと、少しずつ、自分に自信がもてるようにもなってきます。


こうなれば、少~し しめたものです。
この学校には、今でも大変感謝しております。
今の私があるのは、間違いなく、この学校のおかげです。


こうして、この学校で、自分に自信をつけた私は、
いよいよ、コンビニのバイトに挑戦する決心を固めました。


いざ、コンビニのバイトを始めてみると、
やはり、専門学校の時と同じように、
予想外に厳しい出来事や状況に巡り合います。
しかし、今度は、専門学校の時と同じようには、
めげずに、そこで頑張り続けることができません。


その時、私は、どう思っていたのかというと、
「やっぱり、こんな所、全然 私に合わないじゃないか。
先生さえ、こんな所をすすめなければ、こんなつらい思いをしなくてもすんだのに。
もう、とても こんな所ではやっていけない」
というものでした。


今にして思えば、
自分で選んで行った所ではないから、
つらくなると、すぐに頑張ることをやめて、
その責任を全部 先生にかぶせてしまったのだと思います。


その後、私は、
今の私にできるバイトは何かを自分の頭で考えました。
その結果、お客さんと接する機会の少ない
ホテルの各部屋の風呂掃除のバイトに
行くことに決めました。


そこでも、
予想外に厳しい出来事や状況には巡り合いましたが、
結局、そのバイトを約1年半続けることができたのは、
やはり、ここで頑張ってみようと決めたのが自分自身であったからだと思います。


その後も、私は、自分自身で進路を決めてきたように思いますが、
一回だけ、自分自身で進路を決めたにもかかわらず、
どうしても頑張れなかった所があります。


それは、建物のリフォームの営業の仕事です。
この仕事だけは、一応、自分なりに頑張ってみようとはしたつもりなのですが、
どうしても長く続けることができませんでした。


ですから、自分自身で進路を決めさえすれば、
そこでは必ず どんな試練にも耐えることができるとは、私の場合、言い切れません。
やはり、その人にとって合う所と、合わない所があって、
合わない所を選んでしまうと、そこで頑張り続けることは難しいのではないでしょうか。


それでも、
自分自身で進路を決めることの意味はあると私は思います。


少なくとも、自分自身で進路を決めた場合、
うまく行かなかったときに、その責任を他者に押し付けることはありません。
自業自得だと素直に思えます。


それだけでも、
自分で進路を決める意味は大きいのではないでしょうか。


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現在の日本は、少子化の時代に入って久しいです。


こうした時代、
親が、よかれと思って、
大切な我が子のために、
親が安全と考える進路を選んであげて、
その進路を子に進ませる、
というケースが増えていると聞きます。


確かに、
このようなケースでも、
親が選んでくれた進路に
子がうまく順応できているうちは、
問題はそれほど大きくないのかもしれません。


しかし、
親が選んでくれた進路に
子がうまく順応できなかった場合、
その子は、コンビニに順応できなかった時の私のように、
その責任を他者に押し付けて、自分は何の執着もなく、その場から簡単に離れてしまうということはないでしょうか。


もし、このような流れの延長で、現在ひきこもり状態になっている人がいるとすると、
その人が現状を打破するためには何をしたらいいか、を私は少し考えてみました。


それは、自分がしたい(自分ができる)ことは何かを自分の頭で真剣に考えることではないでしょうか。


もちろん、真剣に考えたからと言って、すぐに適切な答えは出ないかもしれませんが、
それでも、真剣に考えて、それなりの答えを出して、
それに従って、次に自分が進むべき進路を模索するという作業は、
それはそれで価値があるのではないでしょうか。
その際、親は、あくまで 子のサポート役にまわって、
子を励まし応援しながらも、
基本的には、子の頑張りを見守る、というのがよいのではないでしょうか。


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自分で進路を決めることの大切さを伝えるつもりが、
いつの間にか、話が大きくなってしまいました。


話が大きくなってしまった部分に関しては、
あまり深く考えて書いているわけではありませんので、
そのつもりでお読みください。



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天上天下唯我独尊

仏教の生みの親である お釈迦様は、
生まれてすぐに7歩あるかれて、
右手で天を、左手で地を指されて、
「天上天下唯我独尊」
と言われた、
という伝説が残っています。


この伝説に対して、
仏教に携わっている人からも
「お釈迦様が このようなことを
おっしゃるわけがないのではないか」
というふうに 疑問が呈されているのを聞いたことがあります。


確かに、
お釈迦様が言われた
「天上天下唯我独尊」が、
「この広い世界の中で、私だけが偉いんだ」
ということだけを言っているのだとすると、
この伝説から、
お釈迦様が 常人離れした 圧倒的な能力の持ち主であることは分かったとしても、
一方で、はたして お釈迦様は、
私のような普通の人間の気持ちなど 理解してくださるだろうか、
というふうに、少し不安な気持ちになってしまいます。


しかし、お釈迦様の意図は、本当に
「この広い世界の中で、私だけが偉いんだ」 
だけにあったのでしょうか。


私は そうではないと思います。


お釈迦様が言いたかったのは、
「いくら世界が広いといっても、
私の代わりが務まる人など存在しません。
あなたの代わりができる人も存在しません。
そういう意味では、
私も、あなたも、
かけがえのない、唯一無二の存在であるということができるでしょう」
ということだったのではないでしょうか。


また、
お釈迦様は、決して、その人の良い面だけに目を向けて、
その人が尊いとおっしゃっていたのではないと思います。


良い面と悪い面の両方を兼ね備えているからこそ、
かけがえのない、唯一無二の存在と言えるのではないでしょうか。


ですから、
たとえ 不器用であっても、
たとえ 明日に希望が持てなくても、
その 苦しんでいることも含めて、
私たちには絶対的な価値があるのです。


だとすると、
私たちも、
お釈迦様を見習って、
7歩あるいて、
右手で天を、左手で地を指し、
「天上天下唯我独尊」
と言ってもよいのではないでしょうか。
(さすがに ここまで言うと、不謹慎になるでしょうか。
気分を害されたかたがいらっしゃったら、申し訳ございません)




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