元ひきこもりのブログ

2007年まで10年以上ひきこもっていました。
ひきこもっている時はまったく光が見えず 本当につらかったですが、人との出会いなど、様々な幸運に恵まれたおかげで 2008年に社会復帰できて以降、少しずつ活動の範囲を広げています。

現在ひきこもり中で、以前の私のように、外に出るのもつらいという人。
そのような人がこのブログを読んで 少しでも「大丈夫だ」と思っていただければ幸いです。

ひきこもり中、私は相当 絶望的な状態だったと思います。
そんな私でも、ひきこもりを脱することができたのですから、現在うまくいかない人も、きっかけさえつかめば 絶対になんとかなると思います。

万物流転

ひきこもっていた頃の私は、
よく変なことで不安になっていた。


  • どこかで犬が鳴く
  • 誰かが咳ばらいをする
  • 近所の家から聞こえていた会話が突然とまる


↑のようなことがあると、
そのたびに私は、ドキッとして、
もしかしたら自分が悪いのではないか
と考えて
不安で一杯になったりしていた。



今からすると、
このような悩みは、
極度に自分に自信がもてなくなったり
不安な気持ちが大きくなりすぎたりしたために
生じたものであったのだろうと考えられる。


つまり、
このような悩みは、
私が異常であったから生じたものではないのだ。


その証拠に、
このような悩みは、
私が社会復帰をはたして、
少しずつ自信を取り戻していくと、
自然と、気にならなくなった。



しかし、現在、
私と似たようなことで悩んでいる人がいたとしたら、
その人にとっては、
このような悩みは、
とてつもなく大きなものだろう。


そういう人が、
この文章を読んで、
少しでも楽になってくれれば、と思う。



以下の文章は、また別の話である。


ちなみに、
私は、現在でも、
視線恐怖症や対人緊張に関しては、
大分ましにはなったが、
完全には克服できていない。


それでも、それなりに
社会生活を送ることができているので、
これで十分だと今は思うことができている。


ただ、
少し前までは、
みんなが普通に楽しんでいることを
私もできるようになりたいと強く望んでいたので、
なかなか完治しない
視線恐怖症や対人緊張のことを
心底、憎んでいた。


それでは、いつ、私の考え方が変わったのかというと、
それは、ある時、
「別に、みんなと同じことができなくてもいいか」
という思いが頭に浮かんでから、である。
それ以降、少しずつ私の考え方は楽になってきたように思う。


つまり、
その時以降、私は、
視線恐怖症や対人緊張を
自分の個性として
受け入れることができつつあるのかもしれない。


現在では、むしろ、
視線恐怖症や対人緊張を抱える私であるからこそ、
価値があるという場面もあるのではないかとさえ考えている。



少し話が広がりすぎて、
何が言いたいのか分からなくなってきたが、
一部、率直に表現できた所もあるように感じるので、このまま投稿したいと思う。



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ホイットマンの言葉

寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。

人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。


↑は、19世紀を生きた、アメリカの詩人、
ホイットマンの言葉だそうであるが、
私は、まさにその通りである、と思った。


というのは、私は、
人生の中で、つらい時期を経験したことがある人は、
そうでない人たちよりも、
他人のやさしさ・心遣いが自分に向けられたとき、
そのありがたさや喜びを
はるかに感じることができる、と思うからである。


つまり、私は、
つらい時期を経験した人というのは、
そうでない人たちと比べて、
太陽の暖かさ・生命の尊さに気付ける可能性が高い人たちである、
と感じているのである。


この事実は、とてつもなく大きいのではないか。


だとすると、私は、
現在、つらい時期の真っただ中にある人に、
絶対に絶望しないでほしい、と言いたい。
もしかしたら、あなたは、
将来、太陽の暖かさに気付けるようになるために、
現在、大変つらい思いをしているのかもしれないのだから。


ただ、中には、
たとえ、太陽の暖かさ・生命の尊さに気付くことができたとしても、
実利は何もないのではないかと思う人もいるかもしれない。


それに対して、私は、現時点では上手く答えられない。
ただ、そういうものは、最後の最後に
自分自身を助けてくれるのではないかと感じている。




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親しく話ができる相手を見つけよう!

ひきこもっている人の切実な願いは、
「社会に出て、それなりに活躍したい」
ということだと思う。


当然、ひきこもっていたときの私も、強くそう願っていた。


しかし、そうはいっても、
そのような願いが簡単にかなうものでないことは、
私が嫌というほど分かっている。


それでは、私は、
なぜ、幸運にも、そのような難しい状況を脱して、社会に出ることができたのかを
今、改めて考えてみたい。




まず私の場合、
呼吸法などを教える先生に出会い、
その先生から様々な指導を受けることができたことが幸運であった。
その先生から指導を受けることによって、私は、
自分の症状がいくらかはよくなっていることを実感することができた。


しかし、
自分の症状がよくなっていると実感できた時点でも、
私は、まだ、バイトに行くことが、どうしてもできなかった。
多分、あまりにも長く社会から遠ざかっていたため、
失敗して傷つくイメージしか持てなかったからだと思う。


その後、私は、他県の農業専門学校で寮生活を経験することになるのだが、
もしかすると、この寮生活が、私のターニングポイントになったのかもしれない。


そこの農業専門学校は、若い人ばかりが集っているわけではなかった。
実社会で働いた経験をもつ、年輩のかたもいれば、
中には、社会でつらい経験をしてきたような人もいた。


つまり、約10年も社会から遠ざかっていた私にとっては、
これ以上ないほど恵まれた環境であったのだ。
(どういうことかというと、社会で苦労をしてきたような人は、ひきこもりを経験した、私のような者でも、特に偏見をもたず、平等に接してくれがちであるように私には感じられるのである)


それでも、その時の私は、
人との接し方もほとんど忘れ、
自分に何ひとつ自信がもてない、
すべてが不安である
という酷い状態だったので、
さすがに、すぐには、そのような環境を生かすことはできなかったが、
おそらく周りの人たちが温かく見守ってくれていたからであろう。
少なくとも私はそこから逃げ出したいと思うほどには追い詰められなかった。
そうこうしているうちに、いろいろなものに少しずつ慣れてきて、
徐々に何人かの人たちと話ができるようになってきた。


話をするといっても、最初は、おっかなびっくりで、
自分の話の内容にも自信がもてず、
ただ挨拶に毛がはえた程度の会話で終わることがほとんどだった。


しかし、約3ヶ月が過ぎたころから、
2~3人の人たちとは、結構、長く
話が続くようになってきた。
彼らには、自分のことも比較的詳しく話すことができた。


このように、本当に久しぶりに、(家族や先生以外の)人とまともに話ができたことは、
私に大きな自信を与えた。


この後、実家に帰って、
ようやくバイトに挑戦する決断ができたのだが、
この決断ができたのは、
人と話をして、よい関係を築けたという経験があったからだと思う。
すなわち、人と良い関係を築けたことによって、もたらされた自信が
私の心の支えになったのである。


そして、約10年もひきこもっていた私が、
人と良い関係を築くということに成功できたのは、
様々な経験をしてきた人たちが集まる場所に身を置くことができたからである。




今にして思えば、バイトに挑戦する前の段階で、
人と良い関係を築くという経験をしたことは大きかったと思う。



現在、社会復帰を目指して頑張っているが、
いろいろな壁に阻まれて、少し道に迷っていると
感じているかたは、
少し目先を変えて、
まずは、いろいろと話ができる相手を
探すことから始めてもよいのではないか。


そして、そのような相手は
様々な経験をしてきた、幅広い年齢層の人たちが
集まるような場所で見つかるはずである。


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