元ひきこもりのブログ

2007年まで10年以上ひきこもっていました。
ひきこもっている時はまったく光が見えず 本当につらかったですが、人との出会いなど、様々な幸運に恵まれたおかげで 2008年に社会復帰できて以降、少しずつ活動の範囲を広げています。

現在ひきこもり中で、以前の私のように、外に出るのもつらいという人。
そのような人がこのブログを読んで 少しでも「大丈夫だ」と思っていただければ幸いです。

ひきこもり中、私は相当 絶望的な状態だったと思います。
そんな私でも、ひきこもりを脱することができたのですから、現在うまくいかない人も、きっかけさえつかめば 絶対になんとかなると思います。

神戸の鉄人28号

今年初めて投稿します。
本年もよろしくお願いいたします。



昨年の11月中旬に、
神戸市長田区の
新長田駅(JR、地下鉄)から歩いて4~5分のところにある
鉄人28号像を
見に行きました。


鉄人28号像は
阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして
2009(平成21)年につくられました。


その鉄人28号像も、
7年たって、塗装の傷みが目立ちはじめたということで、
昨年、
より原作に近い、明るいコバルトブルーへの塗り替えが行われました。


塗り替えは11月6日に終わりました。


そこで、私は、塗り替えられて すぐの
美しい「鉄人28号像」を見に行ったのです。


鉄人28号像は、
思っていたより
随分 大きいです。



もちろん、
明るいコバルトブルーも
美しく輝いています。


でも、
あまりにも大きすぎて、
全体像をカメラにうまくおさめることができません。


そこで、
ファンキーポリス新長田店が入っている建物のエレベーターから
鉄人28号像を撮影させていただきました。



上から見ると、
また違って見えます。


これは、
人々を励まし、勇気づける
ポーズなのでしょうか。


ちなみに、
私は、鉄人28号像から
「いいことばかりは起こらないけど、
 悪いことばかりも起こらない。
 さあ、がんばろう」
というメッセージを受け取りました。


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望みを捨てぬ者だけに道は開ける

今年のNHKの大河ドラマ「真田丸」の中で、


望みを捨てぬ者だけに道は開ける


という言葉が何度か出てきた。



私は、この言葉に共感し、
こうであることを強く信じたいと思った。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



私はまだ悪い流れの中から抜け出せないでいるようである。
この数ヶ月の間、まったく思いもかけなかったような
災難が、次から次へと私の前に訪れてきたような気がする。


私は、ただただ、それらの災難に対処するだけで精一杯だった。



このような災難は、
私自身の本当の実力を教えてくれる。



私は、2008年以降、それなりに社会に出て、経験も積んできたので、
もう少し、他の人と変わらないぐらい
なんでもできるようになっていると思い込んでいた。



しかし、実際はそうではなかった。



やはり私の対人緊張や視線恐怖症は、
私が、しっかりと、一人前の人間としてふるまっていこうとするには、
大きな障害になっているのだ。


なんだか自信をなくした。


こんな状態では、何をやっても、
結局ダメなのではないかと、
何もかもイヤになり、やけを起こしそうになる日もあった。




しかし、次々と訪れる試練は、
私に、やけを起こす暇も与えてくれない。


どんなに情けない状態でも
前に進んでいくしか仕方がないのだ。


本当は、
人に良く見られたいと、人一倍 思っている
私にとって、この経験は本当につらかった。




しかし一方で、
つらい経験は、よい作用も もたらしてくれる。


というのは、
緊張して 情けない状態になる時間が多くなればなるほど、
私も、その苦しい状態から 少しでも解放されて楽になる方法を
必死で探し出そうとする。


こうして私は、この期間に、
対人緊張の苦しみに対処する方法をいくつか見つけ出したのだ。


このような対処法は、
普段通りの 楽な生活をしている中からは
絶対に生まれなかったと思う。


やはり
つらい経験をした中からこそ
生まれてきたものなのだと思う。




このように考えると、
災難というのは、
決して悪いことばかりではないのかもしれない。


人は、
災難の中でこそ
大きく成長するものなのかもしれない。




また、
私は、自分が楽観的な人間なのだと
今回、つくづく思った。


状況が どんどん悪くなってきても
まだ なんとかなるのではないか、と
心の底では思っている。


これは信仰なのだろうか。




よく分からないが、
冒頭の
「望みを捨てぬ者だけに道は開ける」
という言葉は、
楽観的な人間の心に
特に響くものなのではないだろうか。




もちろん、
それでも道は開けないということもあるかもしれないが、
それはそれで仕方がないことである。


と、ここまで達観できれば最高なのだが、
↑でも言ったように、
私には、人一倍、人に良く見られたい
という一面があるので、
なかなかそうもいかない。


こんな一面をなんとかできれば、
対人緊張や視線恐怖症も克服できるのかもしれないが、
そのためには
もっともっと多くの試練に遭遇し、
心がずたずたになるような
つらい経験を一杯する必要があるのかもしれない。


私はハートが強くないので、
とても そんな試練に耐えられそうにない。


私の場合、
対人緊張や視線恐怖症を抱えたまま生きていく方法を
考えたほうがよいのかもしれない。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



つらい状況に陥ったときは
何もかも忘れて眠るしかない。


とにかく
心と体を休めることに専念するべきである。


心と体を休めることができなければ、
本当に 何も始まらないと思う。




心と体を休めることができたら、
もしかしたら その時には
少し うまく行きそうな予感が生まれてきているかもしれない。


もしかしたら その時には
少し 世界が変わって見えてきているかもしれない。


もしかしたら その時には
何か 苦境を打開するためのヒントが思い浮かんでいるかもしれない。




万物は流転する。
世の中、何が起こるか分からない。



やはり
「望みを捨てぬ者だけに道は開ける」
なのである。


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シンプル

物事は、私が思うよりも、ずっと単純である。


私は、こう考えることにした。



今、目の前にあることを、できるだけ頑張る。


ただ、それだけである。



もしかしたら、今、私がしていることは、
将来の自分から見ると、
あまり意味がないことなのかもしれない。


しかし、そんなことは、
現時点では、まったく予測がつかない。


少なくとも、私の小さな頭では、
先のことは全く分からない。
一寸先は闇である。


だから、そんな余計なことは、
できるだけ考えないことにする。



今、目の前にあることを、できるだけ頑張る。


ただ、それだけである。



それに、
たとえ、
しばらく、「これだ!」と思ったことを続けてみたが、
後になって、
やっぱり、これは自分にあまり合わないということに気付いて、
やめてしまったり、挫折したりしたとしても、
だからといって、
それまで、してきたことが、まったく無駄になるとは、
私には、とても思えない。


私は、この世に、無駄なものは一切ないと考える。


その失敗は、必ず、次に、
何らかの形で、つながるのである。



米国の発明家、トーマス・エジソンも、



私は失敗したことがない。

ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。


と言っている。



だから、私は、
今、目の前にあることを、できるだけ頑張る。


ただ、それを積み重ねていくだけである。



自分が、「これだ!」と思うものに巡り合ったら、
自分の勘を信じて、そちらに進むことを私は選ぶ。


もちろん、
「これだ!」と思った道が、
いばらの道であることもあるかもしれない。


それでも、自分の勘を信じて、
少なくとも、行けるところまでは
努力してみるのもよいかもしれない。


「これだ!」と思った自分の勘に正直であり続けるならば、
たとえ、それが失敗に終わったとしても、
その失敗は、必ず、次なる挑戦の糧になってくれるはずである。


自分の勘に正直であるかぎりは、
自然と、道は開けていくのである。


物事は、私が思うよりも、ずっと単純である。




情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS / USALIVE




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